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東京地方裁判所 平成5年(合わ)358号 判決 1994年7月15日

主文

1  被告人を懲役六年六月に処する。

2  未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、三〇年位前から東京都内の上野公園などで浮浪者生活をしてきたものであるが、平成五年一一月二五日ころ、浮浪者仲間のAに誘われたことから、同日以降、東京都中央区日本橋浜町二丁目五九番先の隅田川護岸において、右A及び「ひげさん」ことBと一緒に野宿する生活を始めた。

同年一二月一日午前七時ころ、被告人と右Bが右護岸で焼酎を飲んでいると、十数年前に浮浪者仲間として知り合って以来顔を会わすことのなかったC(当時四〇歳)が、足元をふらつかせるなどかなり酩酊した状態で被告人らのもとに近付いてきて酒をせびり、被告人が飲んでいた焼酎入りのコップを取り上げて飲むなどした後、隅田川の上流の方向に立ち去った。

その後、被告人は、廃品回収の仕事に出かけ、換金して得た金で五合入り紙パックの焼酎一個と一合入りワンカップ焼酎三本を買い、右ワンカップの焼酎二本を飲みながら前記護岸に同日午後五時ころ戻った。そして、うどんを煮炊きするなどして夕食の準備をしていたところ、同日午後八時前ころ、再び右Cが、千鳥足でふらふらしながら、酩酊した様子で被告人の近くに寄ってきて、あぐらをかいて座っていた被告人の前に座り、「酒を飲ませろ。」などと酒を要求してきた。被告人は、いったんは右要求を断ったものの、同人から、「飲ませろ。」、「この野郎、明日からここには置かないぞ。」などと更に執拗に絡まれたため、押し問答の末に、やむなく前記紙パック入りの焼酎をコップに注いで同人に飲ませてやった。しかし、その後も同人は、被告人に対して、呂律がよく回らない口で執拗に酒を要求し、仕方なしに被告人が注いでやった焼酎を飲み干しては、更にしつこく要求することを繰り返し、結局、右紙パック入りの焼酎のほとんど(四合半位)を一人で飲んでしまったが、それでも飲み足りず、「もう酒はない。」と言う被告人に対して、「買ってこい。」などと酒を要求し、これを被告人が断わると、今度は喧嘩腰で、「てめえ、この野郎、飲ませなかったら勝負するぞ。」、「てめえ、ここに置かないぞ。」などと怒鳴り出し、同日午後九時三〇分ころには、腰を地面から一五センチ位浮かせたしゃがむような格好で、いきなり右手で被告人の襟首をつかむ暴行を加えてきた。

被告人は、前記のとおり、自分の買ってきた酒を強引に飲まれてしまったり、さらには、酒を買ってくるよう要求されたりするうちに、右Cに対する憤激の念を募らせていったが、遂には右のような暴行を加えられるに至ってその憤激の情が一気に高まった。

(犯罪事実)

被告人は、同日午後九時三〇分ころ、前記隅田川護岸において、前記のとおり、Cに襟首をつかまれたことから、立ち上がり、被告人の襟首を右手でつかんだまま被告人の立ち上がるのにつれて立ち上がった同人と向き合った体勢で、かなり酔って足元がおぼつかなくなっている同人に対し、前記憤激の情による攻撃意思に加え、同人の暴行を排除して被告人の首付近が圧迫される苦しさから逃れようとの防衛意思も併せ持って、防衛のためにやむを得ない程度を超え、同人の胸部を両手で思い切り突き飛ばしてあおむけに転倒させ、その後頭部をコンクリート路面上に強打させる暴行を加えた。

続いて、その一、二分経過後、被告人は、同人が路面上に転倒したまま全く身動きしないことから、心配になって同人の上半身を起こし、後頭部に焼酎の残りをかけてやるなどしたところ、身動きし始めた同人が左手を路面に突き、立ち上がろうとしても自力では立ち上がれずに上半身を起こしただけの姿勢で、「てめえ、この野郎、勝負しちゃうぞ。」などと言いながら、着ていたズボン等のポケットを右手で探るような仕草を示したことから、同人がナイフを取り出そうとしているのではないかと誤信し、同人に対する憤激の情を再び高じさせ、同人による急迫不正の侵害は既になくなっていたにもかかわらず、この際、同人から今後仕返しなどされないように同人を徹底的に痛めつけておこうと考え、付近にあった長さ約一二九・五センチメートル、太さ約二・七センチメートル、重さ約六八〇グラムの木の丸棒(平成六年押第二一四号の1)を手に取り、右棒で、同人に対して、その大腿部、胸部、頭部及び顔面等を手加減することなく、多数回殴打する暴行を加えた。

右暴行後、その場に横になったまま身動きしなかった同人は、五分位経ってようやく立ち上がったが、それまで受けた攻撃により歩行することがほとんどできず、すぐに前方に倒れ込んで堤防のコンクリート法面に顔面付近を強打し、その後も再び立ち上がったものの、数歩歩いては前方に崩れ落ちることなどを繰り返し、ひざ付近などをコンクリート路面に打ち付けるなどした。

かくして、被告人は、素手及び木の棒による右一連の暴行により、その直接的及び間接的結果として、同人に対し、左右下肢及び上肢表皮剥脱・皮下出血(二重条痕及びデコルマンを形成しているものを含む。)、前胸部及び左側胸部皮下出血(二重条痕を形成しているものを含む。)、肋骨骨折、肝臓被膜亀裂、頭部及び顔面表皮剥脱・皮下出血、頭皮下出血、下顎部挫裂創、下顎骨骨折等の傷害を負わせ、そのころから翌朝までの間に、右暴行場所の付近において、同人を右傷害の総和的作用により生じた外傷性ショックにより死亡させたが、右傷害のうち、右外傷性ショック死を惹起させるのに大きく作用した傷害は、頭部以外にある、下顎部挫裂創、下顎骨骨折、前胸部及び左側胸部の二重条痕を形成している皮下出血、右上肢のデコルマンを形成している皮下出血、左右上肢の二重条痕を形成している皮下出血その他の、木の棒を用いた暴行によって直接生じた傷害である。

(証拠の標目)<省略>

(累犯前科)

被告人は、(1)昭和六三年一一月二七日東京地方裁判所で傷害、暴行の罪により懲役一〇月に処せられ、平成元年九月六日右刑の執行を受け終わり、(2)その後犯した窃盗の罪により平成元年一二月五日台東簡易裁判所で懲役八月に処せられ、平成二年八月四日右刑の執行を受け終わったものであって、右の各事実は検察事務官作成の前科調書、右(1)の前科の判決書謄本及び右(2)の前科の調書判決謄本によってこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、包括して刑法二〇五条一項に該当するところ、被告人には前記の各前科があるので同法五九条、五六条一項、五七条により同法一四条の制限内で三犯の加重をした刑期の範囲内で被告人を主文1項の刑に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中主文2項の日数を右刑に算入し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用してこれを被告人に負担させないこととする。

なお、本件は、被告人が当初素手による暴行(第一暴行)をなし、続いて木の棒による暴行(第二暴行)をなし、その直接的及び間接的結果として、被害者Cの身体各部に傷害を負わせ、右傷害が総和的に作用して、被害者が外傷性ショック死に至ったという事実経過をたどり、しかも、第一暴行が過剰防衛の要件を満たすものの、それに続く第二暴行に至るまでの間に、被害者による侵害の急迫性が失われているという事情のある事案であるので、<1>その罪数関係や<2>これを一罪とみた場合の刑法三六条二項適用の能否が問題となるが、当裁判所は、<1>の点については、右のとおり第一暴行と第二暴行の中間において相手方の侵害の急迫性が消失したという事情があるとはいえ、これらの暴行は、さほどの時間的間隔をおかない同一機会に、同一場所において、同一相手に対して、連続的に加えられたものである上、右のような連続的行為状況に対応して、第一暴行による直接的結果としての傷害、第二暴行による直接的結果としての傷害、両暴行による間接的結果としての傷害が総和的に作用して、被害者の死の結果が生じていること、第二暴行は、第一暴行を受けた被害者が「勝負しちゃうぞ。」などと反発し、ポケットを探るような仕草を示したことから、ナイフを持ち出すのではないかと誤信し、被害者に対する憤激の情を再燃させて、被害者を徹底的に痛めつけようと考えてなしたもので、両暴行は動機面においても共通性、連続性が認められることなどからして、両暴行を一体的に評価し、包括して一個の傷害致死罪の成立を認めるのが相当であると判断し、また、<2>の点については、被害者の死の結果惹起の主成因となった傷害が、侵害の急迫性が消失した後行われた第二暴行による直接的結果としての傷害であることに鑑みると、たとえ第一暴行が過剰防衛の要件を満たしていたとしても、包括して一個の傷害致死罪と認められる本件犯行に対して、刑法三六条二項を適用する余地はないと解するのが相当であると判断した。

(補足説明)

当裁判所は、既に述べたとおり、素手による第一暴行は過剰防衛の要件を満たすものであったものの、木の棒による第二暴行までの間に、侵害の急迫性は消失したものと認定したが、検察官、弁護人は、いずれもこれとは異なる見解を主張しているので、以下において、当裁判所が、右のような認定をした理由について補足して説明しておくこととする。

一  第一暴行について

1  検察官、弁護人の主張

弁護人は、被告人の加えた第一暴行は、被告人の襟首をつかむという被害者の急迫不正の侵害に対する防衛行為であって、この段階では防衛の程度も相当性を逸脱していない旨主張し、他方、検察官は、被害者が被告人の襟首をつかんだ行為は、著しく酒に酔った被害者が半ば被告人に上体を預け、「ぶら下がる」ようにしている程度のものであり、酔っ払いのせいぜい脅しに過ぎない行為なのだから、急迫性に欠け、また、被告人は、被害者の一連の態度に憤激し、防衛の意思なく、喧嘩の始まりの先制攻撃として第一暴行に及んだのであるから、右第一暴行が防衛行為に当たる余地はない旨主張している。

2  当裁判所の判断

(一) 侵害の急迫性の有無

まず、被害者の酩酊の程度を検討すると、被告人の公判供述等によれば、被害者は、本件犯行当日午後八時前ころ、既に酒に酔って足がふらふらする状態で被告人のもとに近寄ってきて、その後一時間半位の間に、合計約四合半にも及ぶ焼酎を飲んだというのであり、また、その間、呂律が回らない口調で執拗に酒を要求して絡んだり、独り言をぶつぶつ言ったり、興奮して怒号するなど、酩酊者特有の態度・言動も示していたというのであるから、被告人の襟首をつかむという行動に及んだ同日午後九時三〇分ころにおける被害者の酔いの程度は相当深かったものと認められる。被害者の死体の眼房水及び尿中アルコール濃度が、それぞれ一ミリリットルにつき三・五三ミリグラム、三・六六ミリグラムと、高い数値であったことも、右認定を裏付けるものである。

次に、このころの被害者の運動能力について見ると、被告人自身、この点につき、公判廷で、「やっぱり相手は酔っているから、手がねじれちゃうんだよね。持っているやつが、早く言えばぶら下がるようになっちゃうから、どうしてもこれ締まっちゃうんだよね。」とか、あるいは、「被害者は完全にはぶら下がらないけれども、被告人につかまっていることで立っていた。」などと供述しており、これからすると、双方立ち上がって向かい合った際、被害者は、被告人に完全にぶら下がらないと立てない状態にまで至ってはいなかったものの、酩酊により独立して直立する能力が相当減退し、被告人を支えとするような状態にあったことになるが、被告人の右供述は、酩酊の程度に関する前記認定と符合し、十分信用できると考えられるのである。

このように、被害者は、右の時点でかなり深く酩酊し、運動失調もかなり進んでいたと認められる。

しかしながら、被害者による襟首をつかむ行為の態様・程度を見てみると、被害者は、酒を飲ませる飲ませないといった押し問答の末に、いきなり被告人の体の正面である襟首をつかみ、その後も被告人に突き飛ばされるまでの間はこれをつかんだまま離さず、しかも、実際に被害者の右行為により被告人の首が圧迫されるような状態になり、被告人に苦しさを感じさせたとの事実が認められるのであって、これによれば、被害者の酩酊の程度、運動能力減退の程度が前記認定のとおりであっても、そのことにかかわらず、被害者の右行為が急迫不正の侵害に該当することは極めて明白というべきである。確かに、前記の被害者の酩酊の程度や運動能力減退の程度を考えると、被害者の右行為は、即座に更なる攻撃に発展するものでなく、その意味では、検察官の主張するように脅し行為という側面を持っていたことは否定できないが、そうであるからといって、現実の侵害行為である右行為につき、急迫性の要件が欠けるとすることはできないのである。

(二) 防衛の意思の有無

被告人は、犯行に至る経緯欄で認定したとおり、被害者から執拗に酒を要求され、自分の買ってきた酒を罵倒されながらも被害者にほとんど飲ませてやったにもかかわらず、更に酒を買ってきて提供するよう要求され、これを断ると、しまいには襟首をつかまれる暴行を加えられたものであるが、被告人が被害者に右のような態度に出られたことで相当憤激の情を募らせたことは、被告人自身の公判廷における、「ああでもない、こうでもない、と言いながら人のただ酒を飲んでいるから自分は面白くないです。」、あるいは、「その気になって飲ませてやって、それでああでもないこうでもない、もうないからと言ってるうちに、まだ飲ませないのかと言って襟首を持って押さえられちゃたいがい頭に来ちゃうですよ。」などの供述からも明らかである。このような経緯に加えて、後述するような、被告人の第一暴行における反撃態様・程度をも考えると、第一暴行は被害者に対する右憤激の情が一気に爆発して行われたものと認めるに十分である。

しかし、他方において、被告人は、公判廷において、「自分は苦しいからね。ぱっと突いたです。」、「持っているやつが早く言えばぶら下がるようになっちゃうから、どうしてもこれ締まっちゃうんですよ。それで苦しくなったから、自分は手で突いたんです。」などと繰り返し述べているのであって、右供述が、先に認定した被害者の酩酊の程度や侵害行為の態様に概ね合致して信用し得ることなどからすると、第一暴行に及ぶにあたり、被告人には、被害者の侵害行為によって首を圧迫されて、苦しいので、これから逃れたいという防衛的意思も併せ持っていたものと認めるのが相当である。

なお、被告人は、被害者の侵害行為について、ある程度の時間襟首をつかまれる状況が継続していたことを前提に、それを「脅しであると感じた」旨述べているが、その継続した時間については供述に変遷が見られるのみならず、各供述間において相当の幅があることから、これを明確な形で認定することは困難である。しかし、既に認定した被害者の酩酊の程度と運動能力減退の程度からすると、そのような状態の被害者が、最初に被告人の襟首をつかんでから立ち上がるまでには、一定程度の時間が経過していたと見るのが合理的であるし、また、被告人が被害者の侵害行為を脅しであると感じた旨の右供述からしても、そう感じ取るだけの時間的幅があったと見るのが相当である。そこで、このように、被害者による襟首をつかむ行為が一定時間継続し、それに対して被告人が脅し行為であると感じたことが、防衛意思の認定上障害とならないか念のため検討するに、被告人が「脅し」だと感じたというのも、証拠上、結局は、被害者が襟首をつかんできた行為以上の更なる攻撃に直ちに発展することはないであろうとの認識に尽きるのであって、既に存在する侵害行為(襟首をつかまれる行為)自体からは現に首を圧迫される苦しさを感じており、その状態も継続していた以上、右のような侵害行為を排除することをも目的としてなされた被告人の第一暴行は、防衛に名を藉りたものとまではいえず、防衛の意思に基づくものと評価し得るから、右の点が防衛意思認定上の障害になることはないのである。

(三) 防衛行為の相当性の有無

以上のとおり、被告人の第一暴行は、防衛行為ということができるので、以下、その防衛の程度が相当性の範囲内にあるかどうかを検討する。

まず、被害者による侵害行為の態様・程度について見ると、被害者が現になした侵害行為は、襟首をある程度の時間継続してつかんでいたというものであって、更なる攻撃に発展したことはないから、それ自体としては、もともと比較的軽微な部類に属する侵害ということができる。しかも、被害者の当時の酩酊の程度や運動能力の減退の程度が前記(一)記載のとおりであったことに照らすと、右侵害行為を排除することは、酒に酔っていない正常な運動能力を有する人間から同様の侵害行為を受けている場合よりも、かなり容易であったであろうと考えられる。その上、右侵害行為については、侵害を加えられた被告人自身が、相手方の酩酊状態等から判断して「脅し」であると感じたと述べていることからも分かるように、更なる攻撃にすぐに発展することは予想されなかったのであるから、この点でも、右侵害行為の程度は弱いものであったということができる。

次に、被告人の第一暴行の攻撃態様・程度について見てみるに、被告人は、被害者の胸部を、両手で肘が真っ直ぐ伸びるまでぼおんと思いきり突き放したと述べているのであるが、ただでさえ酒を飲むとカッとしやすい性格を有する被告人が、犯行に至る経緯欄記載の一連の経緯から憤激の情を募らせていって、遂に、それを一気に爆発させて右暴行に及んでいることからしても、被告人は、その述べるとおり、全く力加減することなく被害者を突き放したものと認められる。そして、襟首をつかんだ被害者の手が、被告人の右暴行によって瞬時に解き放たれていることからも分かるとおり、被告人の第一暴行は、被害者の侵害行為に比して相当強烈なものであったと認められる。

そこで、更に進んで、被告人の攻撃行為の危険性の程度を被害者の右酩酊の程度及び運動能力減退の程度と照らし合わせて判断するのに、前記のとおり、かなり酩酊し、独立して直立する能力が相当減退していた被害者に対し、コンクリート路面上で向かい合って立った体勢において、両手で思い切りその胸を突き放す行為が相手に重大な傷害結果を負わせかねない極めて危険性の高い行為であることは、誰にしも明らかである。実際にも、被害者は、受け身を取ることができず、そのままあおむけに転倒してコンクリート路面に後頭部を強く打ちつけ、転倒したまま一、二分の間は全く身動きもしない状態に陥るという重大な結果が生じているのである(なお、右打撃によって生じた後頭部の傷害に関する剖検結果を略述すると、外表面に上下七センチメートル、左右六センチメートルの膨隆があり、その中の上下三・五センチメートル、左右三センチメートルの類円形の部分の表皮が剥脱しており、この類円形の部分の頭皮下には血液が部厚く膠着していたとされている。)。そして、被告人は、被害者の右酩酊の程度や運動能力の減退の程度についての認識において何ら欠けるところはなかったのであるから、自己の行為の危険性の高さを十分認識しつつ右行動に出たことも明らかというべきである。

以上、被害者による侵害行為及び被告人の反撃の態様・程度、被害者の酩酊の程度、運動能力の減退の程度、路面の状態など周囲の状況、双方の体勢、被告人の暴行の危険性の程度及びそれについての被告人の認識状況等の諸事実を総合して判断すれば、被告人の第一暴行は、被害者の加えた侵害行為に比して均衡を失する強度の攻撃行為であると認められ、防衛行為としての相当性を欠くことは明らかである。

(四) まとめ

結局、被告人の第一暴行は、防衛行為には該当するものの、相当性の範囲を逸脱するものとして、過剰防衛行為としての性質を有するものである。

二  第二暴行について

1  検察官、弁護人の主張

弁護人は、第一暴行後、上半身を起こしてもらった被害者がズボンのポケットを探るような仕草を示したので、ナイフを取り出すのではないかと被告人は誤信し、自己の生命身体を守るため防衛の程度を超えて第二暴行に及んだものである旨主張し(その上で、弁護人は、被告人の第一、第二暴行は全体として一個の誤想過剰防衛に該当する旨主張している。)、検察官は、被告人の第二暴行も、単に将来の仕返しを防ぐためにやった行為に過ぎず、第一暴行同様、防衛行為に当たらない、なお、被告人が、被害者の頭部に焼酎をかけてやったとか、被害者がポケットを探るような仕草を示したなどと述べている部分は虚構である旨主張している。

2  当裁判所の判断

(一) 問題点

本件のように、防衛行為たる第一の暴行と、その後の第二の暴行の間に、一定の時間的間隔がある事案においては、第二の暴行までの間に相手方の攻撃態勢が完全に崩れて侵害の急迫性が消失することがあり、この場合、右消失事実について行為者に誤信がなければ、最早第二の暴行を防衛行為と見る余地は全くなくなることとなる。したがって、本件の場合もまずこの点について検討する必要がある。

(二) 前提事実

ところで、本件においては、判示のとおり、被告人の第一暴行の結果、被害者が後頭部をコンクリート路面に強く打ちつけて転倒し、その後一、二分の間は全く身動きもしなくなり、そこで、心配になった被告人が、近付いて被害者の上半身を起こしてやると、後頭部から血がにじみ出ていたので、消毒と止血をする意図で、後頭部に焼酎をかけてやったところ、被害者が立ち上がろうとしても自分では立ち上がれない状態で、「てめえ、この野郎、勝負しちゃうぞ。」などと言いながらポケットを探るような仕草を示したため、実際には、被害者が何ら凶器を携帯していなかったのに、被告人は、被害者がポケットからナイフを取り出そうとしているのではないかと考え、付近にあった木の棒を取りに行き、その棒で被害者の大腿部・胸部・頭部・顔面等を多数回殴打したとの事実関係を認定できる。

この点検察官は、主に被告人の供述の変遷等を理由に、第一暴行と第二暴行の間に被告人が焼酎をかけてやった事実や、被害者がポケットを探るような仕草を示した事実はなかった旨主張するのであるが、被告人が、平成五年一二月二〇日付け検察官調書以降、公判廷においても一貫して右各事実を供述していること、焼酎をかけたとの事実の前提となる被害者が一、二分間身動きしなかったという事実の存在が、転倒により後頭部に受けた打撃の強さ及び被害者の後頭部の受傷状況からして合理的に認定し得ること、被告人が、身動きできない程ダメージを受けた被害者に対して、いったん攻撃を中断した後に、より強烈な攻撃を再開するには当然何らかのきっかけがあったと見るのが合理的であるが、ナイフの誤信の件は右きっかけに該当するととらえ得ることなどに照らすと、判示のとおり、右の両事実の存在を認め得るというべきである。そして、被告人の供述が混乱している、焼酎をかけてやった時期と被害者がポケットを探るような仕草を示した時期の先後関係についても、被告人が右検察官調書及び当初の公判供述においては、焼酎をかけた方が先である旨述べていたこと、ナイフを取り出すと誤信しながら素手で助け起こしに近付くというのは不自然であることなどを考えると、やはり判示のとおり、焼酎をかけた行為が先行したと認定することができる。

そこで、判示のとおりの事実関係を前提として、先に述べた点を検討することとする。

(三) 急迫性の消失の有無

既に述べたとおり、被害者は、もともとかなりの酩酊状態にあって運動能力も相当減退していたところへ、被告人から第一暴行を加えられ、転倒して全く身動きできなくなったこと、一、二分間この状態が継続した後、心配になった被告人が、被害者の上半身を起こし、怪我をしていた後頭部に焼酎をかけてやるなどしたところ、被害者は、ようやく身動きするようになったこと、しかし、その後でも、被害者は、立ち上がろうとはするものの、転倒によって受けた強度の打撃と酩酊による運動能力減退の双方の影響で立ち上がることができず、上半身を起こしているのがせいぜいという状態であったことなどの事実が存するところ、これらの事実からすると、被告人の第一暴行の結果、被害者の攻撃的姿勢はいったん完全に失われ、しかもその状態が一、二分間にもわたって続いた上に、その後立ち上がろうとした時点においても、立ち上がることさえできない程その攻撃能力は極度に減退していたと判断されるから、被告人が第二暴行を開始する時点においては、最早、被害者が、被告人の第一暴行に対応してすぐにでも更に立ち向かってきて、被告人の身に危害が及ぶおそれがあるという急迫状況があったとは到底認めることができない。なるほど、被害者は、当時、被告人に対し、「勝負しちゃうぞ。」などという言辞を吐いており、なお被告人に対する攻撃的意思が残っていたと認められるのであるが、前述の当時の被害者の体力状況に照らせば、右の攻撃的意思に対応する形で実際に攻撃行為に及ぶことができたとの合理的疑いまでは生じないから、右言辞があったからといって、被害者の侵害が終了していたとする右の結論は何ら左右されないのである。

(四) 急迫性に対する誤信の有無

被告人は、前記のような第一暴行前の被害者の酩酊の程度、その運動能力の減退の程度、自らの第一暴行の態様とその程度、それにより相手方に与えた打撃の強さ、その結果、被害者が立ち上がろうとしても立ち上がれず上半身を起こしているのが精一杯の状態であったこと、そして、それが第一暴行による打撃と酩酊とに基づくものであることなどの客観的諸事情を余すところなく認識していたものであるが、そうである以上、被告人が、第二暴行に及ぶ際、被害者による侵害の急迫性が既に消失していることを正しく認識していたことも認めるに十分である。被告人が急迫性について誤信していなかったことは、被告人自身の公判廷における、「後から自分のところに、寝ていてもこないように、あっちこっち殴っておけば、こねえと思ったから、あれしたんです。」、「二度と自分のところに来られないようにしておこうかなと思ったんです。」、「後から何かあるかもしれないので、後からやられるよりは先にやってしまおう。」などといった供述からも十分窺われるところである。

先に述べたとおり、確かに、被害者のポケットを探るような仕草を見てナイフを取り出すのではないかと被告人が考えたことは証拠上認められるのであるが、被告人は、前記の客観的諸事情に対する被告人の認識状況からして、被害者がナイフで即座に被告人に立ち向かってくるとまで考えたものではないと認められるから(被告人の公判供述中には、右に引用した供述のほか、「相手が横になっているから、そんなにすぐには、自分はあれしていたんです。」との供述もある。)、被告人の右のようなナイフに関する誤信が第二暴行の防衛行為性の消長にかかわることはないのである。

なお、被告人の公判供述中には、第一暴行後、身動きしなくなったり立ち上がることのできなくなった被害者の様子を見て、それが「演技である」と感じた旨述べている部分も見られるが、右供述部分の趣旨は必ずしも明瞭ではないものの、もし字義どおりの趣旨で述べたのであれば、これは、前記の客観的事情や、それについて被告人が余すところなく認識していたという事実と矛盾するものであって、到底信用し得ないものである。

(五) まとめ

以上のとおり、被告人が第二暴行に及ぶ時点においては、既に被害者の侵害行為の急迫性は失われていたのであり、かつ、その段階において、被告人が急迫不正の侵害を誤信した事実も認められないのであるから、結局、第二暴行を防衛行為と見る余地はないのである。

(量刑事情)

本件は、酒に酔った被害者が被告人に執拗に絡んで酒を要求し、遂には被告人の襟首をつかむ暴行を加えてきたことに憤慨した被告人が、同人を両手で思い切り突き放してコンクリート路面上に転倒させ、その打撃により被告人に立ち向かうだけの力を失った同人に対し、今後二度と自分に攻撃を仕掛けてこないように痛めつけておこうと考えて、なおも堅い木の棒で同人の全身を多数回殴打し続け、その結果、同人を外傷性ショックにより死亡させたという事案であるが、右のとおり、弱り切って身動きもままならない被害者に対して、堅い木の棒という凶器を用いた強力かつ執拗な攻撃を一方的に加えるなどしたその犯行態様は、極めて危険で悪質なものと断ぜざるを得ないし、これらにより被害者を死に至らしめたという結果も非常に重大である。また、被告人は昭和五三年、本件同様に浮浪者仲間に対する傷害致死事件を起こして、懲役四年六月に処せられるなど、多数の粗暴犯前科を重ねてきたものであるが、今回またしても本件を犯したのであって、紛争を暴力によって解決しようとする被告人の粗暴にして好戦的な行動様式は一向に改まっておらず、その犯罪性向は深刻で、今後再犯の可能性も否定しえない。これらに照らすと、被告人の刑事責任はまことに重いというほかない。

しかしながら、本件は、偶発的な犯行である上、そのきっかけにおいて被害者側にも責められるべき事情が存在していること、前記のとおり、本件犯行開始時においては、被告人の行為は一応防衛行為と評価し得べきものであったこと、被告人は、公判廷において、被害者を死なせたことは申し訳なく、服役出所後被害者の遺族のもとに出向いて謝罪したい、また、今後は酒を断ち、二度と事件を起こさないようにするなどと述べ、反省の情を示していることなど、被告人に有利な情状も認められるので、これらの事情も総合考慮し、被告人を主文の刑に処することとした。

(求刑 懲役一〇年)

(裁判長裁判官 須田賢 裁判官 天野和生 裁判官 佐伯恒治)

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